東光院

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 鈴得(れいとく)山東光院大金剛寺は真言宗に属し、本尊は七仏薬師如来である。伝えによれば、この七仏薬師如来像は将門の乱に際し、平良文に加護を与え群馬県花園村息災寺の本尊を勧請したものといわれる。三十三年ごとに御開帳する秘仏であるが、昭和三十二年の調査によれば、本尊は藤原時代の様式を残している寄木造の座像で、他の六体は一木造であって、鎌倉初期の作といわれる。

 当院は古くは広徳寺と呼ばれていたが、天正四年(一五七六)、時の住職貞成法印が後陽成天皇の御病気回復を、七仏薬師如来に祈願し、祈願成就につき、五部の鈴及び東照の二字を賜った結果、以来、鈴得山東照院大金剛寺と改めたといわれる。江戸時代の元禄十五年(一七〇二)日光東照大権現をはばかるため、院号を東光院に改めるよう寺社奉行より命ぜられて、現在に至っている。

 ところで、平山町八津台には広徳寺跡と伝えられる場所があり、『千葉大系図』に記載されている、平忠常の子恒将(常将、一〇一〇~七一)が創建したという平山寺の跡ともいわれる。近年この広徳寺跡から平安初期と思われる布目瓦等が出土し、東光院の創建は平安期にさかのぼると推定されている。

 宝永四年(一七〇七)火災にあった記録があるが、当院には善光寺式観世音像(市指定文化財)、金銅毛彫飛天(市指定文化財)、不動明王像、木版五百羅漢図、千葉家系図、当寺縁起三巻、宝来島弁天社縁起等が所蔵されている。