愛染山金光院延命寺は新義真言宗豊山派に属し、本尊は薬師如来である。当院は正応二年(一二八九)貞成上人によって創建されたという。一説によると、創建は宝徳元年(一四四九)ともいう。はじめ現寺院の東方右手の高台に創建されたが、天文二十年(一五五一)二月火災にあって、千葉氏の家臣原式部太夫胤清(小弓城主)の山林二十余町歩の寄進によって、現在の場所に再建された。
寺域は二千三百坪をこえ、老杉がそびえ立ち、本堂、庫裡のほかに、地蔵堂、大師堂、六地蔵堂、愛染堂、鐘楼(一六五〇年代の建造)があって、由緒深い寺院の感を与えている。
本尊は当院に伝わる由緒書によれば弘法大師の作と伝えられるが、相当の名品であることに疑いはない。伝教大師像、恵心僧都作と伝えられる延命地蔵菩薩像、天正十六年(一五八八)の銘入りの不動尊像などが所蔵されている。創建時より伝えられた曼荼羅は昭和三十八年市指定の文化財であるが、その製作は室町時代を降らないといわれている。
創建当初は末寺五十余カ寺を数え、徳川家康が東金におもむく途中、当院に立寄り、住職より法談を聞き、門前の桜をことのほか賞讃したという。よって、この桜は神君御手掛の桜と呼ばれていたが、今はその孫木と枯れた幹の一部が残っている。当院には家康使用の服、盃など、家康ゆかりの日用品が伝えられ、江戸時代には下総国ばかりでなく、近隣諸国にもきこえた名刹であった。享保五年(一七二〇)には常法談所(仏教教理の学問所)に指定されている。