宝幢(ほうどう)寺

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 補陀落山観音院宝幢寺の創建由来は不詳であるが、伝承によると、平城天皇の大同元年(八〇六)宥恵上人によって建立されたという。本尊は聖観音(如意輪観音ともいう。)である。江戸時代には醍醐寺三宝院の直末寺として、武石の真蔵院など一二カ寺を支配する格式があった。

 明治五年十一月、「諸寺院中総本寺、本山を除き、檀家なき寺、住職なき寺院はすべて廃止するゆえ、その寺院の名称を教部省に届出ること」との太政官布告に基づき、馬加村の童幢寺、東翳寺、阿弥陀寺、龍性院、正園寺、福寿院、延命寺、聖光寺の八カ寺を合併し、阿弥陀寺の境内を宝幢寺としている。明治二十九年、醍醐寺、長谷寺の協議によって、真言宗豊山派長谷寺の直末寺となり、現在に至っている。

 旧無量山阿弥陀寺の略縁起によれば、治承三年(一一七九)正月、千葉常胤が現在の幕張海岸の海中にて、二体の阿弥陀如来を得て、幕張大須賀原に安置し、二院を創建したといわれる。一院を阿弥陀寺、一院を海隣寺と名付けた。後に海隣寺は佐倉市に移されている。阿弥陀寺の本尊となった阿弥陀如来像は、現在宝憧寺に伝えられ、昭和三十五年に同寺の大日如来坐像とともに市指定の文化財に指定されている。