重俊院

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 釈迦如来を本尊とする曹洞宗森川山重俊院出羽寺は、生実藩一万石の領主森川家の菩提寺である。近隣の人々は「お寺さま」と呼び、幼児は丹塗りの山門にちなんで、「赤門のお寺」と名付けて親しんでいる。

 当山の創建は寛永九年(一六三二)徳川秀忠に殉死した初代森川重俊の霊を弔うため、二代重政が幕府に願い出て、建立したものである。森川重俊は寛永三年(一六二六)生実一万石の大名に封ぜられ、後に老中に任ぜられ、幕政に参画していた。当山は初め、現在船橋市の宝成寺住職が輪番となる慣行であったが、宝永年間(一七〇四~一一)に栃木県下都賀郡の大中寺第一五世独法秀作を迎えて、住職に任命し、大中寺の末寺となり現在に至っている。

 本院の西は弁天池に臨み、旧小弓城出丸跡に接し、寺内には楓(かえで)、梅が多く、領主の菩提寺としての風格を備えている。江戸時代には寺領二〇石を有していたという。墓域に入る石段を登ると、正面に重俊の墓碑が立ち、左右及び後方に歴代領主の墓が並び、総数四六基が静かにねむっている。千葉市内に残る大名の墓所は当院のみである。

重俊院