富士山福正寺は昭和四十年八月、包括宗教団体日蓮宗から離脱し、単立の宗教法人となっている。離脱後も教義は以前の日蓮宗と同じであることはいうまでもない。元来、日蓮宗富士派西山本門寺の末寺であった。
当寺は明治四十三年の火災により古記録のほとんどを失って、開山年代は明確にしえない。一説によれば、万治元年(一六五八)広誉上人によって、開山されたという(広誉上人が中興開山したともいう)。当寺はもと真言宗に属し、薬師山高巌院福秀寺と称し、本尊は、薬師如来であった。元禄十三年(一七〇〇)藩主稲葉能登守に願い出て、日蓮宗に改宗し、富士山福正寺と改称、本門寺の末寺となり、本門寺第二一世日意上人を中興開山としている。
享保十五年(一七三〇)五田保(稲荷町)にあった稲荷神社の別当寺であった上行院を合併し、上行院の本尊を福正寺が預って、保管することになった。当寺はしばしば火災にあい、古記録を失うが、福秀寺時代から伝えられている薬師如来像がある。現寺院は大正四年十月に再建されたものである。なお、当寺の創建について、織田信長に滅ぼされた今川・武田の家臣が小弓城主原氏をたよって、多数千葉に移り住むことになった。これら今川・武田の家臣は富士派の日蓮宗信者であったため、静岡県富士郡西山本門寺一三世日春上人が、今井村に福正寺を建立したとの説がある。