5 神道系教会

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 現在、千葉市内の神道系教会は六―一一九表のとおりである。この表以外にもいくつかの神道系教会が存在するらしいが、宗教法人としての届出がなされていないので詳細は不明である。

六―一一九表 神道系教会
教派教会名所在地
神道大教神道大教三山千葉支教会椿森五四一―三
天善教千葉大教会港町八九
千葉弁天分教会弁天五三九
富士本教富士教会浜野町一、一九九
みたま教みたま教本部教会長洲二―一四七
金光教金光教千葉教会長洲一―一一六
天理教千葉教務支庁春日一―一三―一一
南総分教会椿森二―一―四
氏保分教会春日一―二一―六
習志野分教会畑町一、二六二
道場分教会道場南町六二―一
言葉分教会本町一―一六三―二
東慶分教会検見川町二―五六九
畑宮分教会稲毛一―九一六
昌愛分教会稲毛一―九一六
検見川分教会稲毛三―八一三
総葉分教会港町一四九
千葉分教会登戸町二―八七
東喜久分教会登戸町三―二五五
千都分教会道場南町一六五―三
錦篠分教会千葉寺町四七三
総千葉分教会新田町一二五
本千葉分教会栄町一六一
長葉分教会長洲町一―七一―一
東葉分教会本町一―一三三
船張分教会幕張町二―一〇一八―二
犢橋分教会犢橋町一、七四七―一
深常島分教会汐見ケ丘四―一三
東久千分教会穴川三―三―二六
東登道分教会弁天町三三五
伊豆千葉分教会道場北町一五一
千葉港分教会港町五八―三七
相総分教会神明町三〇五
市東分教会誉田町三―三三
蘇我町分教会蘇我町一―一九四
更科分教会下泉町七四二
白井分教会中野町一五八―三
千総分教会春日一―一三
印真分教会浪花町一七―九
本村瀬分教会天戸町一二九六―二
真海渡分教会新田町一二八
東久西分教会星久喜一一四八―二
西之町分教会誉田
単立一二教本部教会作草部町五二三
文部省の宗教統計では天理教は昭和四十五年から神道系から諸教となっている。しかし、その教義内容から神道系とした。

 明治九年(一八七六)黒住(くろずみ)教、神道修成派の二派が政府によって、宗教として認められたのをかわきりに、明治四十一年(一九〇八)の天理教の公認によって、いわゆる、教派神道一三派が形成されたのである。その後、多くの分派が成立し、戦後の昭和二十六年には二五八派の神道系各派が文部省に届出をしている。

 千葉市内の神道系教会としては、明治二十七年、登戸町に天理教が、明治二十八年、長洲町に金光(きんこう)教の教会が設立されたのが、その最初といえる。特異なものは、教会設立の届出は昭和二十四年七月であるが、大正五年、神の啓示を受けた永田ふくが創始したみたま教がある。みたま教は本部教会を千葉市長洲町に置き、関東一円に、広く信徒を持っている。なお、戦時中には教派神道に属する扶桑教の千葉仙元講(亥鼻町)、富士講社神明講(富士見町)、参明教会(登戸町)があり、御嶽教一心千勝布教所が検見川町に存在していた。

 戦後、着実に教会数を増加したものに天理教がある。現在、天理教は市内に三六の分教会をもち、昭和四十六年夏の水害に際し、大多喜方面に組織をあげて、救援活動を行うなど社会奉仕活動にも熱心である。