千葉市の人口は急速な増加をしめした。昭和四十年には人口三三万余人、政令指定都市を除いて全国第一八位の都市に成長した。この飛躍的発展に対応して、昭和三十九年、長期総合開発計画を策定した。それは「人をつくること」「経済力をつくること」「よい環境をつくること」の三本の柱をかかげて市政の総合的、計画的な運営を図るものであった。
千葉市は市制施行以来、半世紀にわたる長い歴史のなかで、幾多の先人の努力と恵まれた環境を生かして、着々と発展を続けた。今日では人口五七万余となり、全国でも代表的な都市に成長し、更に近い将来、百万都市の仲間入りが約束されている。この歴史の中から発展の要因をさぐり、歴史の教訓を糧として今日と将来の市民のための都市づくりを構想し、千葉市永遠の発展の基礎を確立しなければならない。
千葉市発展の要因をみるとき、第一に県庁の設置による県都として県内政治・経済・文化の中心都市となったことであり、第二は戦災復興都市計画の策定と、その実現による近代都市の骨格の形成である。また、第三としては戦前の消費都市から戦後、工業都市・生産都市へと大きく変貌をとげ、発展の原動力としての経済力をつけたことである。第四の要因は、市域の拡大である。今日、過密の弊害に悩む都市にとって最も必要なことは、オープンスペースの確保である。現在の市域は二五六平方キロであり、遠浅の海を埋立ての広大な新天地造成、後背地に広がる緑豊かなオープンスペースの保有が本市発展の基礎となるものであった。第五に、こうした千葉市自体の発展の要因とともに、首都圏に集中する人口の受け入れ地として、住宅都市としての発展である。
こうして本市発展の歴史とその主要ないくつかの要因を要約すれば、国家的な発展の動向との調和を可能とした〝天の時〟と地理的条件と恵まれた〝地の利〟を兼ね、更にこれらを的確に把握しつつ展開してきた〝人の力〟などの相乗効果が本市の発展を導くに至ったともいえる。