山形県庄内平野の南西部をさえぎるようにそびえる出羽三山は、標高一、九七五メートルの月山(がっさん)を主峰とし、湯殿(ゆどの)山、羽黒山と続く山々である。
この三山登拝の信仰は、一五、六世紀ごろから人々の関心をよび、近世を通じて東日本、特に出羽、越後、関東一円に広まった。
千葉市内の古くから集落の発達していた地域には、今でも羽黒山講とか、三山講とよばれる講中組織があり、町はずれの辻々に供養塚とか、参拝を記念した石碑などが建てられている。市内に残る講組織は、日蓮宗関係を除いた千葉市南部の星久喜・川戸・宮崎・千葉寺町と、北部の小中台・園生町などの旧農村地帯に多い。
もともと三山参りの民間への広がりは、民衆が三山へ登拝することにより、直接その霊験にあやかりたいと願い、息災延命、無為招福を求めて、山中での修行によって養われた山伏を先達(せんだち)と仰いで、山へ登ったものである。
地方によっては、三山参りのすまないうちは、青年ならば、若者組に仲間入りすることを許さないというように、三山信仰と若者の成年儀式と結びつけるところもあったが、市内での多くは、二五、六歳から四〇歳前後の男性がグループを組み、三〇日間ほどの期間で三山講に参加する例が多かった。現在でも行われている地域があるが、重点をレジャー旅行におかれるようになってきた観がある。