千葉市の臨海部、寒川・今井・登戸・黒砂・稲毛町などは、東京湾をはさんで富士がよく見え、海岸風景の美しい所であった。最近では大気の汚染等によって富士を望むことは、ほとんどまれになったが、この地域では古くから、代参講ともいわれる富士講が組織されていた。
富士講の目的は、健康安全、商売繁昌、豊作祈願であり、毎年七月になると、講中の四〇~五〇歳くらいの壮年男女が、一四、五日の期間で富士に登拝するという信仰であった。行衣、「きゃはん」に「わらじがけ」の旅姿になって一〇人前後のグループを組織して出発するのであるが、出発に先だって登拝経験者がいろいろと世話をやき、立ちぶるまいといって駅頭まで見送るような風習があった。登拝者の中には、富士の帰途、丹沢山地の大山を信仰する大山講に参加する商人もかなり多かった(明治初期の園生村農民の『道中記』吉田公平所蔵による)。