山岳信仰や遠地の神仏信仰に対して、身近な地域の信仰として代表的なものに天道講がある。千葉市の北西部にあたる内山・犢橋・小中台・園生・稲毛・検見川から習志野市津田沼・船橋市方面にかけて、現在でもその信仰がみられる。天道、正しくは「てんとう」であるが、てんどうと濁って呼ぶ人が多い(今井福治郎共著『房総』)。
天道講は、もともと出羽三山講と深いつながりがあり、三山の麓の天道村で、弘法大師によって始められたのが天道念仏であった。したがって、この講に参加できる者は、本来、三山登拝から帰ってきた者でなければならなかったが、徐々に参加の条件がゆるめられ、年齢などの制限がなくなった。
市内で特に有名な天道講は、幕張町宝幢(ほうどう)寺と堂ノ山の大日堂である。三月十二日から三日間、宝幢寺の本堂内で行われる天道念仏は、十二日の午前中にぼんでんを組み立て、十五日に解体する。ぼんでんとは十二天の中の梵天のことで、自然崇拝と結合したものであり、護摩壇(ごまだん)の形をしている。ぼんでんの四隅と中央とには五色の幣束(へいそく)を立て、その間に竹で作った短い幣束四八本を立てるのである。
十四日の朝になると、ぼんでんを先頭に町内の家々を一軒一軒めぐり歩く、花ながしを行い、祭りがすむと村境に立て、ほかの短い四八本の幣束は、その「しで」を小さく切り、これに小さく切った餅をそえて部落内にくばる。
天道念仏踊りは、鐘太鼓を打ちならしながら、いかにも楽しそうにぼんでんのまわりを踊る。江戸時代に行われていたこの念仏踊りの光景が、『江戸名所図会』の中に「船橋駅天道念仏踊之図」として描かれている。この祭の費用などもすべて講が責任をもつようになっていて、新しく加入した年寄連が出し、不足分はほかの年寄連が補うというように、寺はいっさい介入しないというしきたりがあった。
大日堂でも前述の宝幢寺と同じような行事が行われた。
このように、天道念仏は老人にとって楽しい行事のひとつとして幕張町だけでなく、前述の町内に伝えられてきたが、現在でもいろいろな特色をもち続けて残されている。