第二項 婚姻

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(1) 相手選び

 昔は、ほとんどの場合、つり合いのとれた家同志の話合いにより縁談が成立したので、本人たちが事前に会うことはなかった。嫁をもらう方では、それとなく本人を見にいったり、近所の評判をきく(院内)ことはあったが、家同志が知り合っている場合には、その必要もなかった。これでよしとなれば、仲人を依頼し正式に話を進めてもらう。それを橋渡しができたという。その後の結納や細かい手順については、双方の仲人と親せき総代とで話し合う(院内)。

 相手方に申し込むまでの役が仲人とは別に、「こなごしらえ」と呼ばれ、双方から一人ずつ出る場合もある(土気地区)。

(2) 結納(ゆいのう)

 樽入りともいい、もらう方から(大低は聟方)樽、お頭付き、目録、結納金を嫁方に持参し、盃を帰りに媒酌人が預かって来る(土気地区)。

 聟(むこ)方から親類代表と仲人が出る。このときの料理は精進料理(人参、ごぼう、くわい)や、たいの刺身で、料理人を頼んだり仕出しであったりした。明治末から大正初期で結納金は、多い場合は五〇円位であり、戦前で普通、二〇円ないし一〇円前後であった。結納金は、結婚式が成立すると半返しといい、半分、聟方へ返した。

(3) 結婚式の時期

 結納から式までは、六カ月から三カ月で、式は農繁期を避け、秋の終わりから暮、または春先きが多かった。日取りは双方の媒酌人が話し合いで取り決めた。

(4) 結婚式当日

 出迎え

 聟、仲人、親類代表が途中まで出迎える(園生、吉田家)。

 聟が嫁方まで迎えに行く(院内)。

 聟方では、代表者が村境まで迎えに行き、そこで提燈を交換し、門及び玄関であいさつをかわした。

 親類、媒酌人、聟の三人と花嫁の行列七人、合計偶数にした(土気)。

 花嫁行列

 夕方の三時ないし、四時ころに出迎えの者が出立する。嫁方は、伴(とも)の者、仲人(なこうど)を含め一五台ほどの人力車をつらねた。順序は、親類代表、仲人、親、本人で、出かけるとき、嫁に笠をかぶせる真似をした。大きな荷物は式の前に運んでしまうが、当日持ってゆく物には油単(ゆたん)をかけ、また挾箱をかつぐ従者は、すべて印半てんを着用した(園生、吉田家)。

 上がり口でのしきたり

 送って来た人たちと嫁とは入口が異なり、嫁が、その家の人間になるための儀式を入口で行なう場合が多い。従って来た人たちは表口から、花嫁は土間に置いてある杵をまたぎ、そこから上がる。そのとき、すげの笠を嫁にかぶせるまねをする(泉、土気地区)。

 足袋の見える程度に着物の裾を持ち上げて入る(院内)。

 松明とぼし

 入口から中へ入るとき、おちょう、めちょう(男女の子供)が手にした提燈を双方から歩み寄り、交換する。昔は松明の交換であったので、松明とぼしという(泉、院内。七―一図参照)。

7―1図

 聟方の代表者が村境まで迎えにゆきそこで提燈(松明)の交換をしていたものが(院内)、時代の経過とともに、家の中での儀式に移ったものと思われる。

 結婚式

 結婚式とは、本来、夫婦、親子、兄弟の関係を固めるためのさかずきの儀式のことであり、ひろうとは別座敷で行う場合と、同じ座敷でする場合とがある。夫婦固めのさかずきがいわゆる三々九度である。

 固めの杯のくみ交わし方は、まず、親子の名乗りをし、松明とぼしのときの子供の介添えで、親子固めの杯、ついで、兄弟固めの杯、更に、夫婦固めである三々九度の杯を汲みかわし、最後におっつきの牡丹餅(ぼたもち)といって吸い物茶椀に入れた二つのおはぎを食べて儀式を終わる。おっつきの牡丹餅は食べ残してはいけないとされている。

 披露宴

 座り方――上座のむかって左に聟、右に嫁側で、それぞれの仲人、媒酌人が、聟の左隣、嫁の右隣に、そして客は目上の者から順次座り、末座に親類、兄弟、父母の順に座る。一番中央に近い所に仲人とめちょう、おちょうが座る。たいてい、もらう方の人数の方が多いので、人数が左右、つり合いがとれるように聟方が嫁方へ廻って座ることもある(院内、和田家)。

 聟、嫁が上座に座るのは、前に同じであるが、仲人以下、両親、近い親類、客人の順に上座から下座へ座る場合もある(園生、吉田家。七―二図参照)。

7―2図

 宴の進め方――別室で固めの杯を交している場合は、媒酌人が宴の進行係をまず紹介する。進行係りには、近所の檀那(だんな)衆や親類から二人選ばれ、宴の進行はここから係りがすべて取り仕切る。

 ついで、客の紹介を嫁方から行い両方の媒酌人が挨拶する。

 三々九度を披露宴と同じ座敷で行う場合は、この祝詞のあと、杯を交わし合う。二回目の杯で「二ごん目をお渡しします」。二杯目と三杯目の間に、花嫁の受け渡し宣言をいう。

 最後に「三ごんをもって式を終わります」という進行係の声で、披露宴に移る(土気地区)。

 本膳には、必ず、そばが出た。宴は酒がなくなるまで続けられ、片付けが終わるのは夜明けだった(土気地区)。

 仲人が帰るとき、花嫁は出口まで送ってゆく(院内)。

 ひろめの宴は、前後三日間にも及びだんなぶるまい、おかみさんぶるまいと分かれ、それぞれ別の日に行った(園生、吉田家)。

 式の翌日、手伝ってくれた親類や、近所の女の人を集めて、ひろめをする。このとき、長持ちやたんすを見てもらう(院内、土気地区)。

 色直し 仲人のかみさんの指示によってするが、大体が大変地味だった(園生)。

 式(固めの杯)が終わると色直しをする所が多く、着換を済ますと、嫁が客にお茶をついで歩く(泉地区)。

 祝儀とお礼 嫁が来るときに、舅(しゅうと)、姑、兄弟に送り物として、反物を持って来ることが多かった。また、仲人には結納の終わった時点で、お礼として双方に現金を渡した。聟の男親は、めちょう、おちょうにも祝儀をやる(院内)。

 近所の若衆に酒、牡丹餅を聟家で出す(泉)。

 手伝いの人には祝儀を、仲人夫婦には反物を持ってゆく。部落の若い衆が、結婚を祝い、ひねりを投げて来るので、それに対して、料理を出す。その他、見物人にもおはぎを配る(園生)。

 仲人へのお礼は特にしないが、その年の祭りに招待する(土気地区)。

 仲人へは、毎年、年始に双方の親、及び夫婦そろって、品物を持って挨拶にゆく。

(5) その後の行事

 披露宴の翌日

 花嫁は姑につきそわれて部落まわりをする(土気地区)。

 里帰り

 里帰りの日取りは、双方の媒酌人が予定の打合せをして決める(土気地区)。

 日取りはたいてい、一日置いたあくる日で、その日は日帰りである(院内)。

 姑にともなわれて、嫁方の兄弟に紅白の縮面(ちりめん)の反物をみやげに持って帰る。式の翌々日、挾み箱を伴の者に持たせ、女中も一緒であった。姑は一泊し、嫁は一週間程、泊まった。

 それ以外、定例的な里帰りは、祭のとき、夫婦そろって、仲人へ酒と餅を持ってゆく。年始は、一月十六日から、四~五日間、嫁だけで帰る。お彼岸は、親が健在なうちには帰らない。里帰りをすると、実家では必ず嫁ぎ先へのみやげや、娘の日常、必要なものや小遣いを調達するのが結構、大変だった(園生)。