祐光町(ゆうこうちょう)

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 葭(よし)川と院内小学校前の道路との間、小学校を中心にした地域で、大正十一年(一九二二)千葉市の町名改正の際、新たに旧院内区から分かれて、独立した町である。

 町の名、祐光町は、小字名「ゆかふし」から取って名付けられたもので、天保四年(一八三三)の「水帳」に小字名「ゆかふし」があり、明治四年(一八七一)の絵図にも「ゆかふし」と小字名が書き込まれている。

 また道場北町に来迎寺(現在は松波町に移転)という寺があった。はじめ来光寺と呼ばれた時宗の寺で、千葉貞胤が建治二年(一二七六)一遍上人を開基とたのんで建立した。この来迎寺の末寺にあたる祐光寺という寺が院内小学校西側、旧小字「ゆかふし」にあったことが『稿本千葉市史』(1)に記載されている。

 最近になって、これを裏付ける資料として、この小字地域から馬頭観世音の石像が一体と文和三年(一三五四・北朝年号)の刻銘のある秩父の青石でできた「板碑」が出土した。これからみて、伝承のように、寺のあったことはうなずけるが、『稿本千葉市史』のいう寺が来迎寺の末寺だということには大きな疑問が残っている。

 いずれにしても、寺名の祐光寺が小字名「ゆかふし」として残り、それを町名に取りあげたものと考えられる。