当町は古くは道場と呼ばれて、佐倉から寒川の御米蔵および江戸を結んだ街道沿いにできた宿場で、江戸中期から明治二十七年(一八九四)に鉄道ができるまで繁昌の地であって、「千葉村のたからは今や馬のくそ」と歌われている。
この町に千葉貞胤が建治二年(一二七六)一遍上人を開基として創建された時宗の寺がある。はじめ来光寺と呼ばれ、天正十八年(一五九〇)にいたり徳川家康の保護をうけ、浄土宗に改宗し、いまは松波町に移転している。
時宗のころ修行道場があったところから、それが小字名となり、町名に発展し、いつか南北の二つに分町し、一部は、来迎寺門前と呼ばれていた。いつ分町したものかは明確でないが、院内町の「未年宗門御改帳」(明治四年三月)の末尾の人口戸数を記録した書き込みに、「北道場町、南道場町」とある。
現在の町名は、昭和十一年(一九三六)に改められたものである。