町内にある千葉寺は、和銅二年(七〇九)行基菩薩が巡錫(じゅんしゃく)の途次、この地で瑞蓮を感じて十一面観音像を刻んで祀られたのが創めだと伝えられている。
延宝二年(一六七四)の水戸光圀の著『甲寅紀行』(1)には、「住僧がいわく昔此の地に千葉(せんよう)の蓮花生れ出で、中に観世音の小像あり、行基これを拝して、自ら丈六の仏を作り云々」とある。千葉(せんよう)の蓮花からとって寺名とし、千葉寺(せんようじ)と名付けたと古老から聞いている。また、現住職も千葉寺を「せんようじ」と読むのが正しい読み方だと話されていた。
さて、町名は寺名からとって名付られたと考えられるので、千葉寺村と書いて、「せんようじ村」と呼んでいたと考えられる。それが後に千葉家の呼名にちなんで、「ちば寺村」と呼ぶようになったとおもわれる。
- 註1 『甲寅紀行』水戸光圀著、延宝二年、原本は水戸彰考館蔵、『改訂房総叢書』第四輯所収、房総叢書刊行会、昭和三十四年。