町名について、土地の人たちは、『更科日記』(1)に出てくる、
まどろまじ今宵ならではいつか見む
くろとの浜の秋の夜の月
の黒戸の浜が、黒土の浜に変り、さらに黒砂に変ってきたと云い伝えている。また一説として、黒砂町の草分の人人は、天慶三年(九四〇)平将門の滅亡と共に臼井城にいた将門方の人々が朝敵の名に恐れ、臼井から逃れて、この地に隠れ住み、土地を開墾して土着した。その肥沃な土地を示す黒土、これが黒砂に訛ったとする話も伝承している。
- 註1 『更科日記』(抄本)菅原孝標の女、平安時代、『改訂房総叢書』第五輯所収、房総叢書刊行会、昭和三十四年。