この町は、小中台町の新田だと伝承している。鎮守の浅間神社は「大同三年(八〇八)五月三十日村人によって創建され、治承四年(一一八〇)三月十五日千葉常胤が頼朝の命により社殿を再建す」と浅間神社の「縁起」(1)にある。これからみても、古い村落であったことがわかる。
町名の稲毛については、全く不詳であるが、隣村の黒砂村に、今は使用していないが、老人たちが稲毛台「いなぎだえ」と呼んでいた小字がある。この小字が黒砂町の稲毛村境にあって、これは昔の稲置(いなぎ)の所在を指示するものではないかとも考えられる。もしそうだとすれば、稲毛村の旧小字古山か大山の黒砂町境に近いところに稲置役所があって、その台方、黒砂地内を稲毛台と書いて「いなぎだえ」と呼んでいたことが考えられる。この場合、稲置(いなぎ)が稲毛(いなげ)と変化してきたものと想像することは飛躍だろうか。稲毛町の起源は、あるいは、こんなところからかもしれない。
- 註1 「浅間神社縁起」稲毛町・浅間神社蔵