長作町(ながさくちょう)

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 この町は、中古、葛飾郡三山庄長作郷と呼ばれ、弘長二年(一二六二)武石小三郎長胤が長胤寺を創建させたことが諸書にみえる。その後天文年中(一五三二~一五五四)北条氏の所領となったときも長作村とある。

 村名の起源は、地形から来ていると考えられ、長作村は花見川、すなわち印幡沼掘割に沿って、川に直角にのびた長い作を形成しているところから長作という村名ができたと思われる。千葉市に合併後の町名改正の際、坊辺田村を含めて長作町ができた。

 文書資料からみると、宝暦十一年(一七六一)五月、文化十年(一八一三)七月、および弘化元年(一八四四)の文書に長作村とあり、文化十年の六方野一件済口証文にも長作村、坊辺田村と記されている。こうしてみると、古くから町名の変更はないようだ。