旧犢橋村の一部落であって、三枝郷六方野庄に属し小金原の一部であったことは『千葉郡誌』(1)にもみえているが、享保十五戌年(一七三〇)八月、花島村の検地帳に、「小金野方戸柏新田の内」とあることは、柏井が小金原の一部で花島村の親村であったかとも想像される。支配関係も宝暦十一年(一七六一)五月には、柏井村と北柏井村とに分れており、柏井村に上杉采女、北柏井村に小栗力之助、寛政七乙卯年(一七九五)には、下柏井村に小栗猪三郎となっている。
また、享和元年(一八〇一)正月、「金親村田野主人代々村記事」の文中に柏井村がでてくる。天保十四卯年(一八四三)六月の「犢橋村差出明細帳」の文中にも柏井村が出てくる。
町名は柏井、北柏井、下柏井、南柏井と分れていたものを統合して柏井村となったものと思われる。町名の起源については伝承も資料もみつかっていない。
- 註1 『千葉郡誌』 千葉県千葉郡教育会編、大正十五年。