『千葉郡誌』(1)に、「元禄年間江戸の人、薬種問屋野田源内の開墾せる所なりと云ふ。其の当時に於ける石高及戸数の如きは明ならざれども、唯口碑に長沼新田八百八町と称するに過ぎず、代官の所領となり、島田寿平治名主役たり」とある。
元禄年中に、仏母山駒形観音堂が然誉和尚によって創建せられ、境内の露座の大仏は、元禄十六年(一七〇三)四月に野田源内とその一門および有志によって、然誉和尚を開眼導師として建立されている。大仏に記された銘文によると、「元禄十六年四月吉日、導師然誉和尚、鋳物師江戸浅草三間町橋本伊左衛門重広、下総国千葉郡長浪村」とある。
町名のある資料を年代順に挙げてみる。
○天和三亥年(一六八三)七月二十三日 庚申塔の銘(犢橋支所東方細道の十字路にあり) 長沼 (欠損)
○元禄十六年(一七〇三)四月 大仏像銘 長浪村
○享保十二丁未年(一七二七)十月十二日 地蔵像銘(長沼町十字路東北角にあり) 長沼
○宝暦十一年(一七六一)五月 下総国各村級分・『改訂房総叢書』所収 長沼新田
○享和元辛酉年(一八〇一)三月 碑石、奉唱念光明真言百万遍塔 ながのま
(穴川中道入口・大矢商店角の道標石)
○明治二己年(一八六九)六月 犢橋村差出明細帳 長沼新田
以上でみると、長沼、長浪、長沼新田、長沼村と移りかわったことがわかる。
- 註1 『千葉郡誌』 千葉県千葉郡教育会編、大正十五年。