この町は内山部落も含めて、もと印幡郡に属し、明治二十一年(一八八八)この町が、犢橋村に編入と同時に千葉郡に帰属した。
この地に、智証大師によって創建された大聖寺(大正十二年・村人とともに若松町に移転)は、元慶十年(八八六)に開基されたと伝えている。元慶は八年で改元されているので、仁和二年(八八六)に相当する。この町の開村も、それ以前にさかのぼるものと思われる。そのように古くからできている村である。
町名の移り変りを資料でみると、つぎのとおりである。
○元録十五午年(一七〇二) 佐倉藩領知郷村高辻帳 宇那谷村
○宝暦十一年(一七六一)五月 下総国各村級分・『改訂房総叢書』所収 〃
○文化十癸酉年(一八一三)七月 堀田相模守領知・六方野一件済口証文写 〃
○天保十四卯年(一八四三)六月 犢橋村差出明細帳 〃
○天保十五年(一八四四) 御領分御林新田高改 堀田備中守領知臼井庄宇那谷村
○安政五午年(一八五八)十二月 以書付御窺申上候、西福寺普請及留主居の件 宇那谷村大聖寺
○安政七申年(一八六〇)三月 東寺山当申年宗門人別改帳下書 宇奈谷村大聖寺
○明治二己年(一八六九)七月 議定書、六方野秣場入会の件 宇那谷村
町名は変っていないことが了解されるが、その起源については、資料、伝承ともになく不明である。