小金原の一部であって、上横戸、下横戸の二部落から構成されている。町名の起源については詳でない。しかし、鎮守の三社大明神社は、天正元年(一五七三)以前に勧請されており、村はそれより前に開村されていたのであろう。また、当町の第六天神社は、天御中主命を祭神とした妙見社であることと、『千葉郡誌』(1)に「千葉氏の一族千脇作太郎名主役を勤む」とあるところから考えて、往古は千葉家の勢力範囲だったと思われる。
宝暦十一己年(一七六一)五月、旗本石尾織部の支配所であったという記録があり、さらに、文化二丑年(一八〇五)十月および文化十癸酉年(一八一三)七月、享和三亥年(一八〇三)三月の三資料は石尾七兵衛の支配所となっている。
町名に関する資料にはつぎのものがある。
○寛永十八年(一六四一) 三社大明神(神明神社)棟札 下総国横戸村
○寛文十午年(一六七〇)二月 道祖神銘 下総国千葉郡横戸村氏子
○宝暦十壬辰年(一七六〇)六月八日 三社大明神棟札裏面銘 下総国横戸邑
○宝暦十一己年(一七六一)五月 下総国各村級分、『改訂房総叢書』所収 横戸村石尾織部支配所
○明和五戍子年(一七六八)二月 末社金比羅神社鳥居銘 横戸村
○寛政七乙卯年(一七九五) 乙卯年金原御狩記 横戸村
○文化二丑年(一八〇五)十月 乍想以書付奉願上候 下総国千葉郡横戸村
以上のように、開村以来町名に動きが認められない。
- 註1 『千葉郡誌』 千葉県千葉郡教育会編、大正十五年。