この町名を知ることのできる資料や伝承が残っていないので、由緒は明かでない。ただこの町の地勢から推察すると、町名が地形からきたもののように思われる。
町名の移りかわりを資料を追ってみると、つぎのようになる。
○寛文九年(一六六九)六月 訴訟状「穴川野地」(1)・院内町和田家蔵 小仲台村
○寛文十戍年(一六七〇)六月 〃 〃 〃
○元禄二己年(一六八九)十二月 〃 〃 〃
○宝暦十一年(一七六一)五月 下総国各村級分書上・『改訂房総叢書』所収 〃
○文化十酉年(一八一三)七月 六方野一件済口証文・院内町和田家蔵 〃
○元治二丑年(一八六五)二月 「日記帳」・東寺山町豊田孫兵衛家蔵 〃
○明治二己年(一八六九)七月 六方野組合十一ヶ村議定書・宇那谷町区有文書 〃
以上のように小仲台の名は変っていない。
- 註1 「穴川野地」 妙見寺門前名主定右衛門筆写、明治五年、院内町和田家蔵。