『和名抄』(1)に「千葉郡三枝郷、今都賀村に大字作草部あり、即ち三枝部の遺地なり」とある。
この里は、千葉郷と同じく六世紀ころは皇室の直轄領であったと推定でき、王朝時代でも相当の村落であったと推察される。三枝部の部民の居住地だったので、地名も「さきさべ」と名付けられ、それが「さくさべ」となまり、作草部の字が宛られたと考えられる。
また、村上天皇の勅撰になる『後撰和歌集』(2)に、
今こんといいしばかりを命にて
待にけぬべしさくさめの刀自
が載っている。平安後期に作草部に住んでいたか、あるいは作草部にゆかりのあった婦人を詠んだ歌だと思われる。
- 註1 『和名抄』(「倭名類聚抄」)源順撰、延長年間、『改訂房総叢書』第五輯所収、房総叢書刊行会、昭和三十四年。
- 2 『後撰和歌集』源順等撰、年代不明。