もと辺田村、現在の都町の一部と加曽利町の一部とで、昭和十一年(一九三六)にできた新しい町名である。町内の小字京願台にある貝塚は一般に加曽利貝塚で知られており、縄文式土器の型式として加曽利E式、加曽利B式の標式名がこの貝塚で決定されており、考古学上では特に重要な遺跡である。また近年の大々的な発掘から、ますますその価値が世界に知られている。この加曽利貝塚の北側半分には、千葉市で加曽利貝塚博物館を建設、史跡公園として一般に公開することになった。
町名の由来は、佐倉街道の両側に桜並木があったことから桜木町の名が付けられた。