小倉という町名には、資料、伝承もなく由緒不明である。『日本地名小辞典』(1)をみると、「おぐら、こくらと読まして、より低い所、山に囲まれた小さな谷をいう」としてある。この町の名もあるいは、このような地形から名付けられた町名なのかと思われる。
この町の真浄寺は、長承二年(一一三三)九月二十二日に大宮町の栄福寺の末寺として導照僧正の創建が伝えられている。この寺は、はじめ光福寺、後に真福寺と改号した真言宗となり、さらに元禄四年(一六九一)、日蓮宗に改宗して、寺号も真浄寺と改められている。
資料からこの町の名の移りかわりをみると次のようである。
○長承二癸丑年(一一三三)九月 導照、小倉村に光福寺創建・大宮町栄福寺蔵 小倉村
○天正十七年(一五八九) 小倉村芝切開村文書・小倉町平川家蔵 〃
○元禄十一寅年(一六九八)二月 乍恐以書付奉願上候(検地請求の件) 〃
○元禄十五壬午年(一七〇二)三月 佐倉村高改帳 〃
○宝永四丁亥年(一七〇七)九月 下総国千葉郡小倉村新々田検地水帳・平川家蔵 〃
○享保八卯年(一七二三)九月 小倉村差出帳・平川家蔵 小倉村
○享保十四年(一七二九)八月 下総国千葉郡小倉村検地水帳・平川家蔵 〃
○享保二十乙卯年(一七三五) 乍恐以書付奉願上候(助郷村々取極の件) 〃
○延享三寅年(一七四六)七月 小倉村差出帳 〃
○寛延三庚午年(一七五〇) 小倉村畑方田方名寄帳・平川家蔵 〃
○文化十一戍年(一八一四)三月 乍恐以書付奉願上候(如来寺新田用水溜の件) 〃
○天保五甲午年(一八三四)八月 小倉村名覚帳(惣町歩覚) 〃
○天保十五年(一八四四) 御領分御林新田高改(堀田領) 〃
以上の諸書、書付いずれも小倉とあって、開村以来その名に変わりは認められない。
- 註1 『日本地名小辞典』 鏡味完二著、昭和三十九年、角川書店。