この町は、古くは糟〓郷に含まれていて、『歌枕藻塩草』という本に、「盃井というを挙げて下総とす、坂月村のことにや、
東路にさしてこんとは思はねど
盃の井に影をうつして(歌枕名寄)」
とあるが、これが地名の起源となったのではあるまいか。『千葉郡誌』(1)にも、この歌を坂月村の項で取上げている。
町名に関係のある資料はつぎの通りである。
○万治三庚子年(一六六〇)十二月四日 小倉村真浄寺過去帳(壇家の肩書) 坂月村
○元禄十五壬午年(一七〇二) 佐倉領村高改帳 〃
○享保二十年(一七三五) 乍恐以書付奉願上候(助郷村々取極) 〃
○延享年中(一七四四~一七四七) 小倉村真浄寺過去帳 〃
○天保十五年(一八四四) 御領分御林新田高改(堀田領)・川戸町鈴木家蔵 〃
坂月村の名は以上のように変っていない。
- 註1 『千葉郡誌』 千葉県千葉郡教育会編、大正十五年。