金親町(かのうやちょう)

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 町名の起源については詳らかでないが、この町の愛染山延命寺金光院は正応二己丑年(一二八九)、貞成上人によって開基創建されたと縁起にある。

 天文二十年(一五五一)、金光院が焼失の際、千葉家の支流、原式部太夫胤清が、山林二十余町歩を寄進、不入之証文を賜わった。

 なお、この町内には貝塚、包含地が点在しており、また、字中原の一角からは布目瓦、土師器などを出土している。さらにまた、正応二年二月の銘のある板碑も、金光院墓地から発見されていて、たいへん古い歴史を積み重ねた村落であることがわかる。

町名を資料によって調べるとつぎの通りである

 ○正応二己丑年(一二八九)       金親に金光院貞成により創建・金親町金光院蔵      金親

 ○天文二十年(一五五一)        原胤清金親金光院に山林(寄進)・金光院蔵       金親

 ○元和元卯年(一六一五)九月      徳川家康金親村金光院に参詣・金光院蔵         金親村

 ○寛永九壬申年(一六三二)三月十四日  弘法大師像厨子台座裏墨書銘・金光院蔵         千葉庄金親

 ○明暦元乙未年(一六五五)九月     下総葛飾郡金親村田畑水帳・金親町松本家蔵       金親村

 ○元禄十丁丑年(一六九七)十二月    金親村田畑水帳・金親町松本家蔵             〃

 ○元禄十五壬申年(一七〇二)三月    佐倉領村高改帳                     〃

 ○宝永七庚寅年(一七一〇)十二月    金親村見取絵図・金親町松本家蔵             〃

 ○享保五庚子年(一七二〇)八月     金光院由緒並重宝之事・金親町金光院蔵         千葉郡寒川筋金親村

 ○享保八癸卯年(一七二三)九月     下総国千葉郡金親村寺社差出帳・金光院蔵        金親村

 ○享保二十乙卯年(一七三五)      乍恐以書付奉願上候(助郷村々取極)           〃

 ○元文六卯年(一七四一)二月      千葉郡金親村新田書上・松本家蔵             〃

 ○延享二丑年(一七四五)七月      千葉郡金親田畑水帳・松本家蔵             金親

 ○明和六己丑年(一七六九)八月     大井戸村薬王寺墓所出入返答書・金光院蔵        下総国千葉郡金親村

 ○明和九辰年(一七七二)八月      申渡之事・金光院蔵                  金親村

 ○寛政七卯年(一七九五)正月      乍恐以書付奉願上候(小金原御鹿狩勢子人足割の事)・松本家蔵  〃

 ○享和元年(一八〇一)正月       金親村日野主人代々村記事・松本家蔵           〃

 ○文政二己卯年(一八一九)九月     堀田相模守御遠馬之御席・松本家蔵            〃

 ○文政九戍年(一八二六)四月      乍恐以書付奉申上候(地境論訴訟)・金光院蔵       〃

 ○天保八丁酉年(一八三七)四月     御領主より五穀成就御祈禱控・金光院蔵          〃

 ○天保十五年(一八四四)        御領分御林新田高改(堀田領)             千葉庄金親村

 ○弘化三午年(一八四六)        御領主堀田備中守様御遠馬留記・金親町松本家蔵      〃

 ○嘉永五子年(一八五二)十月      御領主堀田備中守様御遠馬留記・金親町金光院蔵      〃

 ○安政二乙卯年(一八五五)八月     為取替済口証文之事(金光院後住之件)・金光院蔵     〃

 以上のように、諸資料からみて正応二年以降その名は変っていない。


挿図31 金光院の六地蔵 金親町


挿図32 千葉胤清の寄進状(金光院) 金親町