星久喜町(ほしごきちょう)

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 千葉之庄池田郷に属し、町内の星久山千手院は、今を去るおよそ八三二年前、長承二年(一一三三)九月、大宮町の栄福寺の開山導師、導照僧正が二十八ヶ寺の末寺の一ヶ寺として創建されたと伝えている。古くから部落があったことがうなずける。しかしながら、町名の起源については、何の手掛りもない。

 町名の推移を資料によって調べてみよう。

 ○元禄十五壬申年(一七〇二)三月  佐倉藩領知郷村高辻帳          星久喜村

 ○宝暦十一己年(一七六一)     川戸村田畑屋敷壱人名寄帳・川戸町鈴木家蔵  〃

 ○宝暦十二年午(一七六二)三月   河戸村午年宗門御改帳・鈴木家蔵       〃

 ○天明元年(一七八一)霜月     千葉郡坂尾村差出帳・大宮町林家蔵      〃

 ○文政七甲申年(一八二四)     川戸村覚帳・鈴木家蔵          千葉庄星久喜村

 ○天保十五年(一八四四)      御領分御林新田高改・鈴木家蔵        〃

 ○弘化四年(一八四七)四月     差村取調書上帳             星久喜村

 ○弘化四未年(一八四七)七月    乍恐以書付奉願上候(人馬助郷差村の件)   〃

 元禄以来、その名に変りが見当らない。