当町は、『千葉郡誌』(1)によれば、「千葉之庄池田郷に属す」とある。
地名についての伝承などはないが、『日本地名小辞典』(2)をみると、川戸は「かわど」と読ませて、河辺の物洗場、川の合流点、川渡場などとある。当町は旧東金街道沿いの村なので、河辺の物洗場、あるいは、川渡場であったために、川戸と名付けられたのではなかろうか。
また別に、「戸」は場所、せまい所などという意味に用いる方言もあるから、せまい川渡の場所にある集落というような意味から名付けられたのではないかと思われる。
例によって、資料を挙げてみる。
○宝永四丁亥年(一七〇七)八月 川戸村亥改新田畑之覚・川戸町鈴木家蔵 川戸村
○元文三戍午年(一七三八)七月 四作野絵図(土手境出入訴訟の件) 〃
○延享二年(一七四五) 川戸村新田畑山屋敷改帳・鈴木家蔵 〃
○延享三年(一七四六) 川戸村差出帳・川戸町鈴木家蔵 〃
○寛延三年(一七五〇) 川戸村新田名寄帳・鈴木家蔵 〃
○寛延三年(一七五〇) 坊谷津に渡る三叉角にある馬頭観音像銘 千葉領川戸邑
○宝暦十一己年(一七六一) 名付田畑山屋敷一人名寄帳・鈴木家蔵 川戸村
○宝暦十二午年(一七六二)三月 河戸村午年宗門御改帳・鈴木家蔵 〃
○天明元年(一七八一)霜月 千葉郡坂尾村差出帳・大宮町林家蔵 〃
○天明七年(一七八七)十月 大厳寺鏡楼起立勧進帳・大厳寺町大厳寺蔵 〃
○享和四子年(一八〇四)二月 乍恐以書付奉願上候(川戸村薬師開帳諸事控)・鈴木家蔵 〃
○文政七申年(一八二四) 川戸村野山反畝歩出銭割帳・鈴木家蔵 〃
○天保十一年(一八四〇) 薬師如来開扉願書控・鈴木家蔵 〃
○弘化四未年(一八四七)四月 差村取調書上帳・鈴木家蔵 中川戸村
○明治四年(一八七一) 川戸村人別宗門五人組改帳・鈴木家蔵 川戸村
○明治五年(一八七二) 薬師開帳諸事控 〃
以上、いずれも川戸村とあって、宝永の昔から、村名の変更はない。ただ、宝暦十二年(一七六二)の「宗門御改帳」に「河戸村」とあるだけである。
- 註1 『千葉郡誌』 千葉県千葉郡教育会編、大正十五年。
- 2 『日本地名小辞典』 鏡味完二著、昭和三十九年、角川書店。