これは、昭和三十年二月十一日、誉田村が千葉市に合併された直後に、遍田町、生実町、有吉町の一部をまとめて独立し、小字鎌取場台および鎌取からとって名付けられた、新らしい町名である。
さて、鎌取の由来だが、むかしは鎌取辺まで野田原で、『妙見実録千集記』(1)によると、「千葉輔胤延徳四壬子年(一四九二)二月十五日平山にて卒す」とあり、また、『平山郷土史』(2)によれば、「千葉家平山村に在職当時は、野田原は御馬の秣刈場であった。そうして、千葉家が佐倉へ引移ってからは、此の土地は奥方様の化粧免として、草刈に来る農民から、鎌を調べて鎌一丁について銭十六文づつを取上げて、佐倉へ差出して居りました。また、盗み刈りをする者は、鎌を取上げて居りました。」と記載されている。その土地を「鎌取場」と呼び習わし、それが小字名として今日まで残ったのを町名に取り上げたそうである。
- 註1 『妙見実録千集記』 著者不詳、安永九年以後の作、『改訂房総叢書』第二輯所収、房総叢書刊行会、昭和三十四年。
- 2 『平山郷土史』 伝金元某著、安政年間、平山町長谷郷永野成之丞書写本、平山町永野家蔵。