平山村に属し、広漠たる原野だったのを、明治九年(一八七六)か十年(一八七七)に京都山科の人、比留多権藤太が土着して開墾に着手し、近村の人々も参加して一部落ができ上った。
町名は、京都山科から出てきたので、東の山科という意味で東山科と名付けられたと伝えている。土地の人は訛って「やますな」と呼んでいる。
東山科町(ひがしやますなちょう)
平山村に属し、広漠たる原野だったのを、明治九年(一八七六)か十年(一八七七)に京都山科の人、比留多権藤太が土着して開墾に着手し、近村の人々も参加して一部落ができ上った。
町名は、京都山科から出てきたので、東の山科という意味で東山科と名付けられたと伝えている。土地の人は訛って「やますな」と呼んでいる。