当町も、千葉庄椎名郷に属し、『千葉大系図』(1)に、「千葉常兼の六子、胤光椎名六郎と称す、下総国千葉之庄椎名郷に居城し、此城堅固なるため大椎城の子城也」と記され、また、「子息の胤隆、椎名六郎太郎と称して、治承年中源頼朝に仕へて功あり」ともある。思うに、居城は椎名崎町の台地であろう。そこに城址と称する地域がある。
旧椎名村は、椎名家の所領であったと思われ、その後、寛永十九年(一六四二)以降は、森川出羽守重俊の知行所となって、それが代々相続されてきた。
いま、諸文書を調べてみると、
○宝永三丙戍年(一七〇六) 浜野村本行寺庫裡改築奉賀帳 金沢村
○正保四丁亥年(一六四七)十月 本行寺と千光院の檀那論記 〃
○延宝五年(一六七七) 鈴木源六家文書(大金沢村六通新田開発成功す) 大金沢村
○宝暦十一年(一七六一)五月 下総国各村級分(森川紀伊守領分大金沢村)『改訂房総叢書』所収 大金沢村
○安永三午年(一七七四)十月 小金一件諸入用割合控・刈田子町高梨家蔵 〃
○安永四己未年(一七七五)三月 宗門御法度書・高梨家蔵 〃
○寛政七卯年(一七九五)正月 日記(小金原御鹿狩勢子人足割の事)・高梨家蔵 〃
○文政六年(一八二三) 刈田子村高梨家文書(上郷大膳野村名主善七) 大膳野村
○文政十三年(一八三〇)八月 高梨家文書諸願書写 大金沢村
○天保九年(一八三八)四月 御領分田畑高反歩取調控帳写・高梨家蔵 〃
○嘉永元年(一八四八)九月 村々高覚帳 〃
○嘉永五申年(一八五二)九月 覚(村高取調) 〃
○嘉永五申年(一八五二)十一月 乍恐以書付奉歎願奉申上候 〃
○文久三亥年(一八六三)八月 乍恐以書付奉願上候(人馬助郷差村の事) 〃
○明治五年(一八七二) 農間質渡世鑑札下付願書・高梨家蔵 〃
以上の諸書に、いずれも「大金沢村」とあって、ただ、文政六年の文書に「大膳野村」とあるだけである。町名は、金沢村から大金沢村、大膳野村と変り、再び大金沢村となっている。
- 註1 『千葉大系図』 伝千葉重胤著、寛永年間、『改訂房総叢書』第五輯所収、昭和三十四年。