千葉庄椎名郷に属し、当町も大金沢町と同じく、町名については資料も伝承もない。
ただ、大金沢と小金沢とは、むかしはひとつで、「金沢村」と呼ばれていたものが、いつの時か分村して、二村になったということは容易に考えられる。土地の人は、小金沢を「こかんざ」と呼んでいて、この「かんざ」に町名の起源が隠されているのではないかと思われる。
大金沢町と同じく、古くは椎名家の所領で、徳川時代になって、寛永十九年(一六四二)以来、森川家の知行所となった。
○宝暦十一年(一七六一)五月 下総国各村級分(『改訂房総叢書』所収)森川紀伊守領分 小金沢村
○安永三午年(一七七四) 小金一件諸入用割合控・刈田子町高梨家蔵 〃
○寛政七卯年(一七九五)正月 乍恐以書付奉願上候(小金原鹿狩人足の事)・高梨家蔵 〃
○寛政七卯年(一七九五)正月 日記(小金原御鹿狩勢子人足割の事)・高梨家蔵 〃
○文政十二年(一八二九)三月 富岡村長徳寺薬師堂棟札・富岡町長徳寺蔵 〃
○天保九年(一八三八)四月 御領分田畑高反歩取調控帳写・高梨家蔵 〃
○嘉永元申年(一八四八)九月 覚(村高取調) 〃
○嘉永五年(一八五二)十一月 乍恐以書付御歎願奉申上候 小金沢村
○文久三亥年(一八六三)八月 乍恐以書付奉願上候(人馬助郷差村の事) 〃
以上、いすれも「小金沢村」とあって、分村後は、町名に移動は考えられない。