中西町(なかにしちょう)

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 当町も、「千葉之庄椎名郷上郷に属す」と『千葉郡誌』にある。町名の起源については不明である。

 中西村の法龍山浄泉寺は、日蓮宗の寺で、文禄年中(一五九二~一五九五)の創建と伝承され、境内の淡島様は、元禄年中、生実の殿様森川家の寄進といわれている。

 諸資料から中西村を拾ってみると次の通りである。

 ○宝暦十一年(一七六一)五月  下総国各村級分、『改訂房総叢書』所収   中西村

 ○安永三年(一七七四)十月   小金一件諸入用割合控・刈田子町高梨家蔵   〃

 ○寛政七年(一七九五)正月   乍恐以書付奉願上候             〃

 ○寛政七年(一七九五)正月   日記(小金原御鹿狩勢子人足割の事)・高梨家蔵  〃

 ○天保九年(一八三八)四月   御領分田畑高反歩取調控帳・高梨家蔵     〃

 ○嘉永元年(一八四八)九月   覚(村高取調)               〃

 ○嘉永五年(一八五二)十一月  乍恐以書付御歎願奉申上候          〃

 以上いずれも「中西村」とあって、文禄以降、町名の変更は認められない。