当町は、千葉之庄椎名郷の上郷に属し、町名の起源については資料、伝承も不明である。隣村と同様に、椎名家の所領であり、のちに森川家の知行所になった。
次に資料より町名の推移をみると、
○延宝七年(一六七九)九月 豊前村未の新田検地帳・刈田子町高梨家蔵 落井村
○宝暦十一年(一七六一)五月 下総国各村級分書上、『改訂房総叢書』所収、森川紀伊守領分 〃
○文政十二年(一八二九)三月 長徳寺棟札(世話人肩書)・富岡町長徳寺蔵 〃
○天保九年(一八三八)四月 御領分田畑高反歩取調控帳・高梨家蔵 〃
○嘉永元年(一八四八)九月 覚(村高取調の事) 〃
○嘉永二年(一八四九)八月 椎名村落井の人、長谷川修竹家塾を開く 〃
○嘉永五年(一八五二)十一月 乍恐以書付御歎願奉申上候 〃
以上の諸書いずれも「落井村」とあって、昔から変りないことが考えられる。