この町名の起源については、次のような三つの説がある。
まず、鎮守・蘇我比咩神社の社名から名付けられたとする説がある。つぎに、蘇我比咩神社は、別に「春日大明神」とも呼ばれているので、春日神社を奉祀する蘇我部の部民が開拓した土地がらゆえに、「蘇我野」と名付けられ、それがのちに「曽我野」と改められたとする説がある。また一説には、日本武尊の東征の時、海難を救おうとして身を海中に投じた乙橘姫が、曽我野海岸に打ち上げられて、まもなく蘇生し、姫が「我れ蘇えり」と申された言葉が、すなわち地名の起源だとも伝えられている。
資料に出ているところでみると、天正の頃は「曽我野」、慶長から延享の頃は「曽我野郷」、江戸期から明治初期は、「蘇我村」あるいは「曽我野村」と呼ばれていた。明治二十三年(一八九〇)五月、町村制施行の時に、「曽我野村」となり、昭和十二年(一九三七)二月十一日、千葉市に合併とともに、蘇我町何丁目と改められた。