当町は、天文十七年(一五四八)、小弓城主・原式部太夫胤栄が同夫人とともに、道誉貞把のために、一宇を建立して、龍ヶ沢一帯をその敷地として寄進し、「生実郷」と名付けた。すなわち、この生実郷は、北生実村の一部を分村し、寺領として寄進されたものである。
これから推定すると、生実村から分村して、生実郷となり、昭和十二年(一九三七)、千葉市に合併直後の町名改正の際、寺名をとって「大厳寺」町と名付けられた。
資料から町名をみると、
○天文十七年(一五四八) 大厳寺縁起・大厳寺町大厳寺蔵 小弓村
○天文二十年(一五五一) 大厳寺縁起・大厳寺蔵 生実郷
○宝暦十二年(一七六二)三月 河戸村宗門御改帳・川戸町鈴木家蔵 生実郷
○天明七年(一七八七)十月 鐘楼起立勧進帳・大厳寺蔵 門前
○嘉永元年(一八四八)九月 覚(村高取調の事)・大厳寺蔵 大厳寺領生実郷
そして、昭和十三年(一九三八)に至って、「大厳寺町」と改められたのである。