これは変った町名なので、いろいろ調べてみたが、なんの資料も出ない。ただ伝承として、むかし山の根方から赤い水が湧き出ていたので、「赤い泉」、「赤い井戸」、「赤井」と変化して、現在の町名になったと伝えられている。
しかしながら、その泉の位置が確認できない。多分、鉱泉のようなものが自噴していたか、あるいは金渋でも出ていたのであろう。
また、万治二年(一六五九)二月の「小倉村萬帳」によると、小倉村を所領としていた赤井弥兵衛が、赤井村をも所領していたので、領主の名をとって名付けられたのではないだろうか。
なお、近村の老人達は、赤井を「あけえ」と訛って呼んでいる。この辺に地名の起源があるのではないかとも考えられる。
次に、資料を書き上げてみる。
○元禄十一寅年(一六九八)正月 下総国葛飾郡平山村御差出帳・平山町永野家蔵 赤井村
○宝暦十一年(一七六一)五月 下総国各村級分書上・『改訂房総叢書』所収 〃
○宝暦十二年(一七六二)三月 河戸村午年宗門改帳・川戸町鈴木家蔵 赤井村
○天明七年(一七八七)十月 大厳寺鐘楼起立勧進帳・大厳寺蔵 〃
○寛政七卯年(一七九五)正月 日記(小金原御鹿狩勢子人足割の事)・刈田子町高梨家蔵 〃
○天保十三年(一八四二)八月 佐倉領海岸検地帳・今井町水野家蔵 〃
○弘化四年(一八四七) 「差村村高取調書上帳」・『改訂房総叢書』所収 〃
○安政五午年(一八五八)十一月 以書付御窺申上候(西福寺普請及留主居の事)・金親町金光院蔵 〃
○明治四辛未年(一八七一)三月 下総国千葉郡椎名下郷三ヶ村高書上帳・高梨家蔵 〃
これで赤井村が古くより変更のないことが考えられる。