当町は、古老の話によれば、「もり」と呼ばれていたそうで、元禄十五年(一七〇二)十一月の郷帳には、大森村の肩に「古くは、森村」と書き入れてあり、森村から大森村と改められたのは、元禄十五年以前と考えられる。
町名の大森村、森村については、詳かでないが、古老の話から推定すると、全村が森に囲まれていたので名付けられたものと考えられる。
いま資料からみると、
○元禄十五年(一七〇二)十一月 郷帳(「古くは森村」とある) 大森村
○宝暦十二午年(一七六二)三月 川戸村午年宗門改帳・川戸町鈴木家蔵 〃
○天明七年(一七八七)十月 大厳寺鐘楼起立勧進帳・大厳寺蔵 下総大森村
○文化十三年(一八一六)四月 金光院末寺連名・金親町金光院蔵 大森村西福寺
○天保八年(一八三七)四月 五穀成就御祈祷書・金光院蔵 〃
○天保八酉年(一八三七)七月 乍恐以書付奉願上候(人馬助郷差村の事) 大森村
○弘化四年(一八四七)四月 差村取調書上帳 〃
○安政二乙卯年(一八五五)八月 為取替済口証文事(金光院後住の事)・金光院蔵 森村
○安政五午年(一八五八)十一月 以書付御窺申上候(西福寺普請及び留主居の事)・金光院蔵 大森村
いずれも「大森村」とあって、金光院後住の書付のみ「森村」と古い村名を使用している。