古くは葛飾郡に、中古は千葉之庄池田郷に属し、千葉家代々の領有するところであった。当町は、昔から「宮崎村」と呼ばれているが、この町名の起源については、資料、伝承ともに見当らない。
しかしながら、古文書に現われた村名は、次のとおりである。
○元禄十五年(一七〇二)十一月 佐倉藩領知郷村高辻帳 宮崎村
○宝暦十一年(一七六一)五月 下総国各村級分書上・『改訂房総叢書』所収 〃
○天保十五年(一八四四) 領分御林新田高改 千葉庄宮崎村
○弘化四未年(一八四七)四月 差村取調書上帳 宮崎村
○嘉永五子年(一八五二)十二月 差上申一札之事(助郷御見廻の事) 〃
このほかにも、『千葉郡誌』(1)に、「享保十一年(一七二六)、松平左近将監宮崎村を領す」または「延享三年(一七四六)、堀田正倫宮崎村を領す」とあって、いずれも「宮崎村」と呼ばれている。
以上からみて、元禄以後、村名に変化は認められない。
- 註1 『千葉郡誌』 千葉県千葉郡教育会編、大正十五年。