当町は、旧白井村の一村で、隣村と同様に山家郷白井荘に属し、雷神、菅原道真、須佐之男命、大山祇命の四柱が祀られた、雷神社が、当町の鎮守様であることが、『千葉郡誌』(1)に出ている。町名も、雷神社に関係があって、雷(いかづち)に五十土の字を当てたものと思われる。
町名の推移について見ると、
○宝暦十一年(一七六一) 下総国各村級分石高領主別表・『改訂房総叢書』所収 五十土村
○天保八酉年(一八三七) 乍恐以書我奉願上候(御代官収賄の件)・中田町千脇家蔵 〃
○天保九戍年(一八三八) 取扱内済証文之事(傷害事件) 〃
○嘉永三戌年(一八五〇)三月 海岸人足□□□・野呂町石井家蔵 〃
○文久三亥年(一八六三)九月 差村一件願書写・石井家蔵 〃
以上のごとく、いずれも移動は認められない。
- 註1 『千葉郡誌』 千葉県千葉郡教育会編、大正十五年。