高根町(たかねちょう)

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 旧白井村の一村で、往古は山家郷白井荘に含まれていた。古くは、千葉家の領地であったが、天正十八年(一五九〇)頃には、地頭・北条安房守の所領となり、元禄十五年(一七〇二)、戸田能登守家から分家した戸田大学(土佐守)の知行所となって、享保三年(一七一八)に戸田主水のものとなり、宝暦十一年(一七六一)五月には、戸田土佐守の知行所となった。

 さて、町名の移り変りを資料からみると、

 ○長禄元丑年(一四五七)五月   野呂村清水不動明王略縁起・野呂町石井家蔵      高根村

 ○延宝九辛酉年(一六八一)三月  高根町西光寺本尊・不動尊像の胎内文書文面・西光寺蔵  〃

 ○元禄二己巳年(一六八九)    佐和町正福寺本尊不動尊の銘文・佐和町正福寺蔵     〃

 ○享保二十乙卯年(一七三五)   乍恐以書付奉願上候(助郷村々取極の事)        〃

 ○宝暦十二午年(一七六二)三月  河戸村宗門御改帳・川戸町鈴木家蔵           〃

 ○明和九辰年(一七七二)十月   高根町西光寺境内の馬頭観世音像銘文・西光寺蔵     〃

 ○寛政三亥年(一七九一)     大井戸村田方名寄帳・大井戸町区有文書         〃

 ○文政二己卯年(一八一九)九月  堀田候金光院被成御入候留記・金親町金光院蔵      〃

 ○文政九戍年(一八二六)四月   境論訴訟状之事・金光院蔵              高根村

 ○天保八酉年(一八三七)二月   為取替議定証文之事(地境争論の事)・金光院蔵     〃

 ○天保八酉年(一八三七)     乍恐以書付奉願上候(御代官収賄の事)・中田町千脇家蔵  〃

 ○安政二乙卯年(一八五五)八月  為取替済口証文之事(金光院後任の事)・金光院蔵    〃

 ○安政三辰年(一八五六)十二月  梵鐘之義申上候書付・千脇家蔵             〃

 以上いずれの書にも、「高根村」とあって、町名の移り変りは考えられない。

 『字源』(1)によると、高根の「根」はつけねという意があるという。高い丘のつけねという意味からこの町名がつけられたと思われる。