下泉町(しもいずみまち)

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 旧更科村の一村であり、古くは千葉家、その後は北条氏勝の所領となり、元文五申年(一七四〇)には戸田土佐守の、宝暦十一年(一七六一)には、戸田土佐守の知行所となった。

 当町の延命寺(現在は廃寺)は、明和六丑年(一七六九)六月に、本寺宝泉寺と共に、大井戸村の薬王寺とその本寺の金光院を相手どり、墓地帰属問題で訴訟をおこしている。

 町名の移り変りをみると、

 ○享保二十乙卯年(一七三五)   乍恐以書付奉願上候事(助郷村々取極の事)           下泉村

 ○元文五申年(一七四〇)六月   小間子牧附村々国郡石高地頭付に、「戸田土佐守知行所三百四十六石余下総国千葉郡下泉村名主伊左衛門」(八街町史料集)  〃

 ○延享三丙寅年(一七四六)七月四日  下総国千葉郡大井戸村明細帳(大井戸町区有文書)       〃

 ○明和六己丑年(一七六九)八月    大井戸村薬王寺墓所出入返答書(大井戸町区有文書)      〃

 ○寛政元己酉年(一七八九)十月    取替置申一札之事(小間子牧村村取極の事)(八街町史料集)  〃

 ○寛政七卯年(一七九五)正月     日記(小金原御鹿狩勢子人足割の事)・刈田子町高梨家蔵    〃

 ○寛政九己年(一七九七)八月     乍恐以書付御訴訟奉申上候(助郷人馬の事)          〃

 ○文化十二亥年(一八一五)八月七日  御野馬捕御用一件(小間子牧野馬捕の事)(八街町史料集)  下泉村

 ○文化十三子年(一八一六)八月    乍恐以書付奉願上候(小間子牧野馬捕牧士宿の事)(八街町史料集)  〃

 ○文政二己年(一八一九)九月     堀田候金光院被成御入候留記・金親町金光院蔵         〃

 ○天保八酉年(一八三七)       乍恐以書付奉願上候(御代官収賄の事)・中田町千脇家蔵    〃

 ○安政三辰年(一八五六)十二月    梵鐘之儀申上候書付・千脇家蔵                〃

 ○明治四未年(一八七一)       小間子牧入会地(八街町史料集)               〃

 ○明治四未年(一八七一)       稲葉村九ヶ村議定(八街町史料集)              〃

 以上、いずれも「下泉村」とあり、村名の変化はみられない。