中田村の区域を分けて、昭和三十八年に分町独立した町である。この区域には、御茶屋御殿址があり、「千葉郡更科村仲田宇津志野二五四九番地に、元和元年(一六一五)家康東金鶴狩の際、時の佐倉城主、土井大炊助利勝が命を受けて、船橋より銚子、東金に達する新道を開通せし時、家康の休憩所として造営せしなり」と『鶴の御成街道と東金御殿』(1)に書かれている。この御殿址は今も土手と濠が残っているので、御殿町と名付けられたのであろう。
- 註1 『鶴の御成街道と東金御殿』 清水浦次郎著、昭和二十九年。
御殿町(ごてんちょう)
中田村の区域を分けて、昭和三十八年に分町独立した町である。この区域には、御茶屋御殿址があり、「千葉郡更科村仲田宇津志野二五四九番地に、元和元年(一六一五)家康東金鶴狩の際、時の佐倉城主、土井大炊助利勝が命を受けて、船橋より銚子、東金に達する新道を開通せし時、家康の休憩所として造営せしなり」と『鶴の御成街道と東金御殿』(1)に書かれている。この御殿址は今も土手と濠が残っているので、御殿町と名付けられたのであろう。