旧更科村の一村であり、『千葉郡誌』(1)によると、「足利時代千葉氏の所領なりしと云う外記録の徴すべきものなし、徳川時代初期には堀田氏の所領」とあり、他の資料によると、宝暦十一年(一七六一)五月、戸田能登守の知行所で、天保十五年(一八四四)の「御領分御林新田高改」によると、「千葉庄大井戸村」とあり、佐倉領として、堀田氏の知行所となっている。
町名の移り変りをみるため、資料を表示する。
○宝永七寅年(一七一〇)十二月 金親村見取絵図・金親町松本家蔵 大井戸村
○享保二十乙卯年(一七三五) 乍恐以書付奉願上候(助郷村々取極の事) 〃
○延享三丙寅年(一七四六)七月四日 大井戸村明細帳(大井戸町区有文書) 〃
○明和六己丑年(一七六九)八月 大井戸村薬王寺墓所出入返答書(大井戸町区有文書) 〃
○寛政三亥年(一七九一)二月 大井戸村田方名寄帳(大井戸町区有文書) 〃
○寛政七卯年(一七九五)正月 日記(小金原御鹿狩勢子人足割の事)・刈田子町高梨家蔵 〃
○享和元年(一八〇一)正月 金親村田野主人代々村記事・金親町金光院蔵 〃
○文政元寅年(一八一八)十月 寅御年貢可納免定(大井戸町区有文書) 〃
○文政二己卯年(一八一九)九月 堀田候金光院被成御入候留記・金光院蔵 大井戸村
○天保十二丑年(一八四一)九月 薬王寺(現在は廃寺)の梵鐘銘文・大井戸町念仏堂蔵 〃
○天保十五年(一八四四) 御領分御林新田高改(大井戸町区有文書) 〃
○嘉永三年(一八五〇) 子御年貢皆済目録(大井戸町区有文書) 〃
○安政二卯年(一八五五)二月 下総国千葉郡大井戸村新田検地帳(大井戸町区有文書) 〃
○安政二卯年(一八五五)三月 下総国千葉郡大井戸村新畑検地帳(大井戸町区有文書) 〃
○安政二卯年(一八五五)八月 為取替済口証文之事(金光院後任の事)・金光院蔵 〃
○明治二己年(一八六九) 当己年田方御検毛附差上帳(大井戸町区有文書) 〃
○明治三午年(一八七〇)三月 午御年貢皆済目録(大井戸町区有文書) 〃
○明治四辛未年(一八七一)十月 御年貢前納免定(大井戸町区有文書) 〃
以上、いづれも「大井戸村」とあり、宝永以来、町名に変化はない。
また、町名の起源については不明である。
- 註1 『千葉郡誌』 千葉県千葉郡教育会編、大正十五年。