旧更科村の一村で、宝暦十一年(一七六一)、戸田能登守の知行所となった。
天保十五年(一八四四)の「御領分御林新田高改」(1)には、「千葉庄旦谷村」とある。寛永九壬申年(一六三二)三月十四日の日付のある、金親町金光院蔵の弘法大師像厨子の台座裏に、「千葉庄旦谷郷」と書き入れてある。また、文政二卯年(一八一九)十月に誌された、「金親村殿様金光院御成実記」(2)にも、「大旦谷村」とある。
これ以外には資料が見当らず、いま少し調査して、再度論じたいと思う。町名の起源なども一切不明である。
- 註1 天保十五年 「御領分御林新田高改」、川戸町鈴木六右衛門家蔵。
- 2 文政二卯年 「金親村殿様金光院御成実記」、金親町金光院蔵。