三 平高望

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高見王の子を高望と云ふ、宇多天皇の寛平二年葛原親王の奏請によりて平朝臣の姓を賜はり、從五位下に叙し上總介に任せらる。武藏の平井[南葛飾郡]に居り後相模の村岡に移る、故に子孫多く東國に土着するに至れり。延喜十一年七十三歳を以て卒す。十子あり國香・良房・良將・良兼・良文・良生・良繇・良詮・良持・良廣是なり。