高望の第五子良文父の職を承りて上總介となり、武藏の平井に居り、後秩父に移り更に相模の村岡に移りて村岡與五郎と稱す。武幹あり最も騎射を善くす。天慶二年鎭守府將軍兼陸奧守に任せられ正五位上に叙せらる。常時鎭守將軍は相模に居るを以て例とす。
承平五年平將門伯父常陸大掾平國香と隙あり戰を交ふ。良文國香に黨して上野群馬郡染谷川の戰に將門を破つて功あり。此時妙見菩薩の加護を信じて世々鎭守ノ神となす。天慶三年將門の舊領を賜はりて下總上總常陸介となる。良文の子孫東國に繁衍して坂東八平氏となる。千葉・上總・三浦・土肥・畠山・大庭・梶原・長尾是れなり。天曆六年卒す年六十七。