常將は忠常の長子にして小次郎と稱し上總權介に任せられ從五位下に叙せらる。初め東大友城に居りしか後千葉郡に移り始めて千葉氏を稱す、世稱して千葉殿と云ふ、之を千葉氏の初代とす。常將の城居せしは蓋し猪鼻丘なるべし。
永承中源賴義に隨ひ陸奧を征して功あり。賴義父子常將を視ること猶子り如しと云ふ、後世子孫志を源家に通するは此に基く。承保三年六月卒す、年六十七。二子あり、長は常長、次は恒直埴生次郎と稱す。
別本千葉系圖に云ふ「此代天人天降夫婦成、男子一人出産玉、因茲子細有、常將及參内始千葉介號」と。羽衣の松の傳說は之に基く。