常長又常永は常將の長子なり、幼にして四郎大夫と云ふ。下總權介兼武藏押領使に任せられ、從五位下に叙せらる。寛治三年源義家淸原武衡を征せし時父と共に之に從ひて功あり。常長は義家の烏帽子子にして其の間常に父子の親みあり。天仁元年卒す、年七十。
長子常兼家を繼く。其の他常滿・常房・賴常・常睛・常遠・常繼・常仲・行長等の諸子ありて、鴨根・原・相馬・安西・大須賀・粟飯原等の祖となり、子孫大に房總に繁衍す。
第二代 千葉常長卿
常長又常永は常將の長子なり、幼にして四郎大夫と云ふ。下總權介兼武藏押領使に任せられ、從五位下に叙せらる。寛治三年源義家淸原武衡を征せし時父と共に之に從ひて功あり。常長は義家の烏帽子子にして其の間常に父子の親みあり。天仁元年卒す、年七十。
長子常兼家を繼く。其の他常滿・常房・賴常・常睛・常遠・常繼・常仲・行長等の諸子ありて、鴨根・原・相馬・安西・大須賀・粟飯原等の祖となり、子孫大に房總に繁衍す。